修士論文を提出したが心が晴れない
遂に、本日修士論文を提出しました!
この瞬間を、どれほど待ち望んでいたか、、
まだ来週の発表会を控えているので、もうしばらく忙しい日々が続きますが、一旦区切りがつきました。
分量としては、表紙、目次、参考文献を含めて107ページ、46000文字、図は100枚超です。東工大時代の卒論の2.5倍程度ですが、労力としては10倍くらい大変だったと思います。
ところで、いざ修論を提出してみると、自分でも驚くほど達成感がありません。
なんでかなー、と理由を考えてみているのですが、今のところ思いついているのは2つ。
- 指導教員から「問題なし」という言葉をもらっていないから
- 自分自身、最後まで修論のストーリーに納得がいっていないから
- 来週に修士論文発表会を控えているから
順番に説明します。
1. 指導教員から「問題なし」という言葉をもらっていないから
「問題なし」というのは、修士修了可能という意味ではなく、「納得できる出来」という意味です。
修士論文は指導教員に2回ほど添削を頂きました。少ないんじゃないのか?と思われる方もいるかと思うのですが、私が所属してきた東工大の研究室といまの研究室では、標準的な回数です。
で、いろいろと指摘をうけるのですが、特に最後まで受けた指摘は「導入部分のストーリーがちょっと甘い」というものでした。(実験結果の分析については何も言われませんでした)
論文というものは、ち密にロジックを組み立てる必要があります。したがって、問題提起および当該論文の目的を述べる導入部分の記述は、きわめて重要になります。
この点において、私の論文は記述が付属しているとのことでした。
ただ、私の指導教員は素晴らしい方なので、決して代わりに文章を考えて提供することはしません。
「将来役立つから、自分で何度も推敲してみなさい」とおっしゃってくださり、昨晩から徹夜で推敲を重ね、今日の提出に至りました。
今日はもう時間がなかったので、ぎりぎりまで考えたものをそのまま提出いたしました。
クリティカルな問題は既に解決してあるので、これで修士論文の審査に落ちることはないはずですが、指導教員に「問題なし」のお言葉を頂けなかったのは、やはり心残りです。
2. 自分自身、最後まで修論のストーリーに納得がいっていないから
1とも関連するのですが、指導教員だけでなく、私自身も最後まで納得いく出来に仕上げ切ることができませんでした。
そもそも、私がやった程度の実験結果で、ごりっぱな論文が仕上がるはずはありません。
ただ、今あるデータでどれだけ質の高い論文に仕上げることができるかは、その人の能力次第だと思っています。
この点において、私は自分自身の無力さを痛感しました。
データはあるのですが、適切な目的設定や考察、結論への誘導が、まるでうまくいかないのです。
あと2・3か月、実験を一切やらずにひたすらデータ分析と論文の推敲を行えば、だいぶマシなものになると思いますが、そんなことはできるわけもなく。
「もっと前倒しで研究すべき」という声はまったくその通りです。
ただ、そうなると「もうちょっと実験できるな」となって結局論文執筆に時間がさけないような気もします、、(スケジュール管理は本当に難しいです)
兎にも角にも、修士の2年は短かったなと思います。
研究の片鱗を、一瞬垣間見た、そんな感覚です。とても、自分がやってきたことが研究だとは思えません。
研究の厳しさを改めて痛感した、修士論文執筆でした。
3. 来週に修士論文発表会を控えているから
修士論文の提出は終えましたが、来週に発表会を控えています。
発表会は、発表20分+教授陣からの厳しい質疑応答10分です。
そこで、発表会までの間に改めてデータをまとめ、スライドを作成し、セリフを考え、質疑応答に耐えられるような準備をする必要があります。
これでは、なかなか晴れ晴れとした気分にもなりません(笑)
明日か明後日にはスライドの初版をつくり、指導教員に見せなければならないでしょう。
今日はすこしお休みしようと思いますが、あと1週間、ラストスパートだと思って頑張ろうと思います。
では、この辺で。